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手記2

再登校後クラブ活動を通して成長した中学1年生のケース


 「休みの日は暇-!学校にいるほうがよっぽどいい。」
 こんな言葉を聞くなど,一年前には想像もしていませんでした。昨年,6月1日「学校へ行きたくない」とつらい顔をして息子に言われました。不登校の始まりでした。 長く休ませてはいけないと思い,主人と私は,行っても行かなくても学校へ送っていくことを続けました。  教室の前で大きくため息をついたまま立ち止まった息子を担任の先生が,「もういい」と言って涙で抱き寄せてくれたこともありました。 そのうち,車から降りれなくなり,学校へ近づくと「胃が痛い」と言い出したのです。

 ある日,最後の勇気を振り絞ったのでしょうか。なぜか学校へ踏み入ることができ,私は不安を残しながら先生に任せて学校をあとにしました。 家に着いてしばらくして,学校から息子がいなくなり職員で探していると言う電話がはいったのです。 電車通学でしたので,すぐに駅に向かいました。待合室に行くと,背中を丸め頭を下げてぽつんと座っている息子が目に入りました。 その瞬間「もういいよ。ここまで追い込んだんだね。もういいよ。」という気持ちでいっぱいになりました。大人が思っている以上に苦しんでいたのです。 親自身の苦しさよりもはるかに苦しかったのです。その時からむりやり学校へ行かせるのはやめました。

 学校は休ませていたものの,私も主人もこのまま落ち着いてはいけない,時間をかけてはいけないと同じ気持ちを持っていました。 何をどうしていいのか分からず,何冊もの本を読み,その著者に片っ端から電話をかけて相談しました。今思うと,“もがいていた”という感じです。 ある日,自分の足で手だてをさがそうと教育相談室に行きました。 私の説明を聞いた専門家の先生の「愛情をしっかり注ぎながら待ちましょう。」「次はどうされますか?予約をして帰りますか?」と言う言葉。 そう言われた時,「違う!」「おかしい!」待つだけで息子に何か光が見えてくるのだろうかと疑問を持ち,その日限りで相談はやめました。それから後も,神戸,名古屋など他の機関にも行きました。 もやもやした気持ちのまま過ごしている時,ある友人から桜井先生のことを教えてもらいました。

 桜井先生と息子が初めて会ったのは,完全不登校になってから2ヶ月と少したった8月半ばでした。 いろいろな機関で言われたことで母親として子育ての自信をなくし,私なりに一生懸命してきたことはいったいなんだったのだろうと落ち込んでいる時でした。 私には「お母さんのしてきたことは間違っていませんよ。いっしょに頑張りましょう。」息子には,「お母さんは,あなたのことが心配で元気になってほしいと思ってるんよ。 早く元気になって,今度はあなたがお母さんを助けてあげるために男として生きていこうね。」という桜井先生の言葉。親子で元気をもらって帰ったのを覚えています。

 それから指導をして頂き,出られそうな教科,時間を自分で決めて1時間,2時間…半日と。自分で決めると言うことが大切だったようです。 少しずつ学校に行くようになり(保健室にも行っていましたが,そこへ落ち着くことはありませんでした。),山があり谷がありでしたが10月の文化祭・体育祭には一日中過ごすことができました。 でもその体育祭では応援席に座ったまま,皆がトラックに出ても一人ぽつんと座ったままでした。参加できないのです。 無理をしているのだろうか,これでいいのだろうか…と思い,涙が出るのをこらえるのに必死でした。でも「いや,この子はやっとレールに乗ったんだ。」と思い直して帰りました。

 それから1年後の今年の体育祭,自分の目を疑いました。全員参加の種目はもちろん,百足競走にも息子が参加していました。後で聞くと,「出る!」と手を挙げたそうです。 入場門から行進してくる生徒の中にいる息子の姿,踊っている姿,友達と抱き合う姿,とび跳ねて喜ぶ姿,大きな声で応援する姿,絶対に忘れることができません。

 体育祭が終わってしばらくしたある日,休憩時間に友達とふざけあっていてガラスでけがをして帰って来ました。 ニコニコしながら,けがをした手を上げて私に見せました。10針も縫ったけがでしたが,友達とふざけた,じゃれあったということがうれしくてたまりませんでした。 以前,担任の先生に様子を尋ねた時も「心配なことは何もありません。むしろ,はしゃいだり廊下を走ったりで注意をするほどです。」という返事で,注意をされることにさえ喜びを感じているほどです。

 少しずつの変化が,気がついてみるとものすごく大きく変化しています。息子は,小学校の終わりから卓球を習っていて中学校でも続けようと部活動に卓球を選びました。 でも,不登校になってから卓球もやる気をなくして遠ざかっていました。再登校できるようになってしばらくして,少しずつ部活動にも出るようになりました。  しかし,試合を見に行っても,やる気があるのかないのか分からないような態度で,リードされるとすぐにあきらめてしまうような状態でした。当然,結果もよくありません。 この卓球で何とか自信がついてくれればまた違ってくるのに…(親の勝手な願いだったのかもしれませんが)と心の中でいつも良いきっかけが息子に与えられないかと願っていました。 練習に出たり出なかったり,頑張ろうと思ったりくじけたりを繰り返して,何とかやめることなく続いていました。

 幸運にも,郡総体で優勝でき,さらに次の大会で県大会に出場できるキップも手に入れました。 その郡総体での優勝は,ものすごく大きな影響があったようです。定期的に学校から出される学年通信には次のような息子のコメントが載せられていました。 『-皆さんのお陰で1位に- (省略)これからも一生懸命練習して県大会にいけるよう頑張っていこうと決めました。 応援して下さった顧問の先生や家族,部員のみんなにお礼を言いたい。』 県総体での目標を自分なりに持って努力したのでしょう,目標を突破できました。 その試合は私も見に行きましたが,以前のあの試合は誰のだったのだろう,こんなにも変わるものかと本当に驚きました。 接戦になっても全くあきらめず自分を奮い立たせて向かっていく姿に,自分の子でありながら「かっこいい-!」と叫びたくなるほどでした。 この姿を見たくて,小さな変化を見逃さず口に出してほめることをしました。“しっかり見よう!ほめよう!”が私たち夫婦の合言葉です。少しの自信がどんどん子供を大きくしていくのです。

 子供は,学校という社会の中で,楽しいこと・苦しいこと・悲しいことを経験しながら成長していくことが望ましいと実感しています。 同年代の友達や先輩・後輩との関わりを通して自分を見,そして成長できるのではないでしょうか。 桜井先生と出会って一年と少し,いろいろなことに気づかせてもらい,息子と私・主人・家族が成長したように思います。 本人にとっては本当に大変だったと思いますが,息子の成長をこれほどに感じることが出来たこと,家族のあり方まで教えてもらったことをありがたく思っています。 親として悩みは尽きませんが,この経験で得たことを無駄にしないように頑張っている最中です。 私は今,息子に,そして私たち親子と一緒に歩いて下さった桜井先生とスタッフの皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

 最後に,私たち親子と同じように苦しんでおられる人に…  あきらめないで下さい。小さくても必ず光は見えてきます。そして,その光は少しずつでも大きく明るくなるはずです。

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