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リブ通信

2002号 夏号


 「背負っている子に教えられ…」   桜井久仁子

 お盆の送り火が涼風を運んでくれたのか、肌をかすめる風が心地よく感じられるようになりました。不思議なものですね、日本特有の季節の移り変わりは、私たちに趣深い季節感を育ててくれました。  暑さと寒さの間にある微妙な温度差を、感性豊かに詩的な表現で日常生活に取り入れてきた私たちの祖先は、きっと心のひだの深い芸術家だったのかもしれません。  そのせいでしょうか、私たちが今もって心の機微を大切にするのは……。

 私はリブ通信春号で、私の父のことに触れました。父は少し小心者でしたが、心の優しい、愛すべき人でした。  その父が生前よく、「久仁ちゃん、人に物を教える者はとかく傲慢になりがちだ。人の立場に立って物を考えることを忘れがちになる。  気をつけないとねぇ、恐ろしいことだ。」と言って、私を諭してくれました。  きっと、元気でイノシシのように突っ走る傾向のある私を心配して口にした言葉でしょうが、当時の私には父の言葉もどこ吹く風でした。  今になれば、私の傲慢さで傷ついた人もいるに違いないと反省もできるのですが、父を亡くしてみて初めて分かる父の思いやりある言葉でした。

 実は、なぜ今この言葉を思い出したかというと、最近私は何度か、『背負った子に物を教えられた』からなのです。  その一つに私はある企業で社員研修をしていますが、そこである若者に毎週一冊の課題図書を出しています。  読書を通して彼の発想の幅を広げるようと、様々なジャンルの本を読んでもらっているのです。そのために私もその課題図書を事前に読み直す機会を持つようになりました。  先日、私は彼の課題図書に中国の古代兵法家「孫子」を選びました。研修の前夜、私が何年かぶりに「孫子」を手にとって再読した時です。  孫子の語りが文面を飛び出し、以前には気付かないことを私に教えてくれました。いや前回にはない新しい発見を私にもたらしました。

 年を重ねるとともに深まりゆく経験の幅が、きっと私に孫子から以前よりも多くを読みとる力を与えてくれたのかもしれません。  しかし、これも彼の課題図書というきっかけがなければ出会えなかった感動です。つまり、彼に教わったのも同じですよね。  ふと、父の言葉が聞こえてくるような気がしました。「久仁ちゃん、背負った子に教わるとはこのことよなぁ。」と、…。  そうです、私たち「教える立場」の人間も日々「教わる立場」の人間でもあるわけですよね。私は時々、アシスタントの今道先生の臨床場面を見て教わること、思い出すことがあります。  彼女の一生懸命が表に出過ぎてついつい相手を圧倒してしまうとき、彼女に「相手の不安を思いやるように。」と、言いながら、私自身も自分の姿を反省することがあります。  これも彼女に教えながら、私も教わっているようです。また、ある時は今道先生が子どもの成長を実感し涙を流しているのを見ながら、私も初めて感動したあの日、初めて出会ったあの子を思い出しています。

 LIBも少しずつ成長してきています。出会う人たちの数も増え、かかわる人たちの数も増えました。それと同時に私の肩に背負う責任も増えてきました。  でも言い換えれば、これは多くの子どもを背負って、その多くの子どもから多くのことを教わる機会が増えたと言うことになるのではないでしょうか。  つまり私はまだまだ多くのことを学ぶ機会を持てると言うことです。私の目には、リブがこれからもポジティブに前進している姿が鮮明に写っています。


 「教育カウンセラー養成講座」に参加して   山本孝美

 6月に約70名の先生方や教育関係の方と3日間の研修を受けました。その中で都留文科大学の河村茂雄教授の「集団の育成とグループアプローチ」は先生方も熱心に耳を傾けた講座でした。  公立学校で15年教諭をされた教授は具体的な事例を交えて、学校でしか学べない対人関係の大切さを次のように語ってくださいました。

 大学でも大人になれない、自分の歩いて行く道が見えない学生がいて、就職をしたくないとか、就職をしても自分探しをするといってすぐに退職するものがいる。  しかし、彼らはいつまでたっても自分のしたいことが見つからない。それは彼らが対人関係を段階をおって学習していないからだ。今、就職難であるが、内定を数社もらう学生の共通点は友人が多く親友がいることである。  知的な部分と社会性が伴っていないと就職は難しい。ある大学にいたとき、いつも一人で授業中は教室の一番前の席にヘッドホーンをかけて座り、休憩時間には漫画を読んでいる学生を研究室に呼んで話をした。  中学時代に不登校傾向があり、高校は進学校のために勉強さえしていれば、友人と話をする必要はなかった彼は寂しそうに「僕、一人も友達がいないんです。」と言った。  身体は成長するが、心の発達は学習を伴うもので体験して身につけなければ次に進めない。

 私は教授の話を聞きながら、二十歳を過ぎた頃から20年近くも引きこもっている同級生のA君のことを思いました。  小学校時代は親が学校に送って行っていましたが、ついに中学2年から彼は不登校になりました。クラスメートと担任で何度か働きかけましたが彼は学校には来ませんでした。  それでも高校進学をし、就職もしたと聞いていたので彼がひきこもりになるとは誰も思いませんでした。  きっと彼の心は中学2年の頃で止まってしまっているのかもしれません。当時、桜井先生のように本人とカウンセリングをし、学校に行ける環境を整えながら一歩一歩進めるやり方を知っていたら、彼の人生は全く違ったものになったのかもしれません。  そして、そっとしておかないでもっと積極的に関わっていたならひきこもらなかったかもしれません。

 中学2年まで約5年間、不登校だったB君のお母さんは同じような状況にあるお母さんに、「絶対にそっとしていてはいけない。  私はB君の一番楽しい思い出を作れる時を奪ってしまったのが申し訳ない。」「この子は病気ではないので、絶対に治してやろうと思った。」とご自分の経験を話してくださいました。  指導を始めた時は、座っていることさえ難しく、制服を着ているのも窮屈そうなB君は1年の指導の間に心がどんどん成長していきました。  いつも桜井先生が言う「子どもは同じ年代の子どもに認められて成長する」という言葉の重みを改めて感じながら、B君と彼のお母さんからから多くのことを教わりました。

 先日、リブ教育研究所のホームページを見て、兵庫県から保護者の方が訪ねてこられ電話による再登校指導を依頼されました。  でも、初めのうちは「子どもがもっと学校に嫌悪感を持つのではないか、学校に行って欲しいという気持ちは子どもを追い込むのではないか」と随分悩まれているようでした。  私も子どもをもつ親として日々子育ての難しさを感じています。色々なお母さんに出会いながら、親が子どもに対してしっかりした思いをもつことの大切さや決して諦めてはいけない事を教わりました。


 アシスタントとして学んだこと2   今道優子

 夏休みもいよいよ折り返し地点を過ぎました。夏休みは、ケースの子どもの朝の登校支援がしばらく休みになるため、少しゆったりした気分で、この夏休みを過ごしてきた私ですが、ふと耳を澄ませると新学期の足音と、私のお尻に(子どものお尻ではないのが悲しいところですが…)ボッと火のつく音が聞こえてきました。  そうです、「夏休みの宿題」の残量と夏休みの残りの日数とのにらめっこの開始です。

 さて、この夏休みに、私はある少年から教えられたことがあります。その少年は、いろいろな事情から、学校や教室に居場所が作れず、同世代の友達との交流が持てないでいました。 彼は、よく「俺には友達がいない。どうせ俺は何をやってもだめな人間なんだ。俺にはどこにも居場所がない・・・」と感情を爆発させていました。 このような状況であったため、当初は彼を他の生徒と一緒に指導することができず、マンツーマンでの指導が主となっていました。 彼の憤りや激しい言動は長時間続くこともありましたが、私には、それが寂しさや孤独感を、彼なりに必死に伝えようとしているように感じられました。

 夏休み前のカンファレンスで、この夏休みは彼をLIBに来る同世代の男の子と同じ教室で、一緒に指導することが決まりました。 最初はなかなか教室に入ることができず、何度も「先生、今日は他に誰が居るん?」と確認するなど、かなり緊張しているようでした。 教室に入っても、落ち着かないようで、一緒にいる子のことがとても気になるのに、話しかけるどころかその子を見ることすらできませんでした。そんな日が続きました。 ところがある日、彼が私に「俺、友達が欲しい。カラオケ行ったりゲームしたり一緒に遊べる友達が欲しい。ただ、俺、何て話し掛けていいのか分からん」とポツリともらしました。 それは、初めて彼が自分の気持ちに素直になって語った一言でした。その言葉に、私は身が引き裂かれる想いがしました。彼は本当に素直な少年です。 しかし、学校に居場所が作れないことや同級生がしている当たり前のことができないということで、彼は自信を無くしてしまい、自分自身の人格を傷つけてしまっているような気がしてなりませんでした。

 その日から、彼が同世代の男子生徒に話し掛けるトレーニングが始まりました。 例えば、彼は教室内のクーラーに一番近い席に座っているので、教室内の他の子に「寒くない?」と聞く練習や、自己紹介の仕方、また勉強をしている子にどのように話し掛けるかなど、具体的なセリフを作っていきました。 教室内での会話も、しばらくの間は、彼の発言を私が代弁して他の生徒に伝えるという(彼⇔私⇔友達)パターンでした。 傍から見ると変なコミュニケーションですが、彼にはそれが同世代の子との交流であり、とても嬉しいことだったようです。 徐々に彼が友達に直接話し掛けることが増え、同時に一緒に学習する生徒数も増やすことができました。 そんな中、私にとってとても嬉しい出来事がありました。彼は、これまで「自分は何をやってもだめな人間だ」といって学習することを全く諦めていました。 しかし、その彼が「先生、俺、みんなと同じように高校行きたい。」と言ってくれたのです。 そして、一緒に学習している下級生の子の問題を一緒に考え、黒板に図を書いて、あ~でもない、こ~でもないと頭を悩ませているのです。 とても微笑ましく、またジワ~と胸が熱くなる光景でした。

 日々、桜井先生が「子どもは子ども連れで成長していくもの」と口にされています。私は彼らの姿にその言葉の深みを感じました。 大人では力及ばぬことがたくさんあるし、子どもは同世代の仲間に認められることで自分に自信をつけていくものだということを改めて考えさせられました。 彼とはもう少し一緒に歩いていく時間があります。これから彼は自分なりの居場所を見つけるでしょう。その時を楽しみにしながら、日々、彼から教えてもらうことを大切にしていきたいと思います。


 

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